2016年1月10日第2礼拝宣教 ヨハネの第1の手紙4:16

  • 2016.01.10 Sunday
  • 13:09
「神は愛です」古川良男牧師(品川教会) 
主の年2016年、明けましておめでとうございます。本年も信仰生活=教会生活を中心に祈り合い、
励まし合い、助け合い、愛し合い、仕え合って行きましょう。
み言葉の中で「愛」とはどのような愛でしょうか。新約の中での「愛」は
 屮▲ぺー」神の愛(神がご自身のみ子イエス・キリストを人間のために与えて下さり、
  報いを期待せず、自分を犠牲にしてでも相手を愛する愛である) 
◆屮侫リヤ」友情 
「エロース」は新約には一回も出てきません。
実に聖書には「神の愛」「キリストの愛」「神への愛」「キリストへの愛」「兄弟の愛」「敵への愛」
があるのです。この愛という言葉には少なくとも6つの内容が含まれています。

(1)「理解する」:愛は相手の思い、心、痛み、願い、訴え、相を理解しよう。
(2)「思いやる」:愛は相手と同じ立場に立って喜び、悲しみを感じるよう。
(3)「受け入れる」:愛は相手のありのままを受け入れます。
(4)「諭す」:愛するがゆえに戒め諭すのです。また、厳しくなることもあるのですね。
(5)「最善を期待する」:愛はいつも相手に最善を期待します。手が失敗して挫折しても、いつも最善を願い期待するす。
(6)「犠牲を払う」:愛は愛する者のために犠牲を惜しまない。
「神は愛です」この愛には以上6つの内容すべてを含んでいるのです。あなたはこの命を捨てるほどに
(十字架の愛)の大きさに感謝して行きましょう。

 

2015年12月13日第2礼拝宣教 申命記6:4 ヤコブの手紙1:22

  • 2015.12.14 Monday
  • 22:55
「みことばを聞き、聴く」古川良男牧師  

いよいよ来週の20日(第3主日)キリスト教会ではクリスマス礼拝を迎えます。
旧約聖書には多くの預言が記されています。まず、イエス様の誕生が前750年頃に預言されました。(イザヤ7:14)
そして、イエス様がダビデの家系から生まれること(イザヤ9:6〜7)や、イザヤと同時代の預言者であるミカを通してイエス様がエルサレムで生まれることが預言されました(ミカ5:2)。
なんと驚くべきこと不思議なことでしょう。やはり、万物の支配者である神様のご計画が着々と進められていたのですね。

(1)聖書を読むのは読書と違います。なぜなら、読書は読む人に主導権があるのですが、
   聖書を読むとき、聖書に聴くときは神様に主導権があるのです。
(2)次に大切なことは信仰を持って神様の導きに信頼し、期待して聖書を聞き、聖書に聴いてゆくことを
     身につけましょう。
(3)その次に心したいことは「思い巡らして心に留める」(ルカ2:51)ことです。
      みことばを聞き、読んでもわからないことにぶつかりますよね。それでもイエス様の母マリヤのように
      「思い巡らす」(ルカ2:18)ようにしましょう。
(4)最後に聖書を読むという事は神様との交わりでもあるのです。
     さらに、聖書が示す信仰は「神様との契約の信仰」であることを覚えましょう。

 

2015年11月8日第2礼拝宣教 民数記14:5〜12 22〜24 38     

  • 2015.12.14 Monday
  • 22:45
「私の思い、人の思い、神のみ心」古川良男牧師  

日本ではよく「十人十色」とか「三者三様」などと言われるが10人どころか2人居ても共通点と相違することがある。
み言葉の中にも、今朝、選ぶ箇所から人の思いが大きく違う事がある。12部族から各1名ずつ偵察隊としてカナンの地を見に行ったのに、10人の者は「とても進んでゆくのは不可能だ」と進言。
しかし、2人(ヨシュアとカレブ)だけは「主が我々と共におられるから」とカナンの地に攻め入ることを進言したのです。
それに対して民も指導者モーセも2人の声よりも10人の声を支持したのです。
その結果モーセと民は40年にも及ぶ苦難の道を歩かなければならず、モーセはカナンの地を見ただけで入ることは許されませんでした。
ここで、ヨシュアとカレブについてまとめてみました。

1.「ヨシュア」とは“神の救い”の意  「カレブ」とは“犬”の意
2.「ヨシュア」は後にモーセの後継ぎとなりました。 「カレブ」は“ヨシュア”の下で彼を支えました。
3.「ヨシュア」は後に旧約聖書の「ヨシュア記」を残しました。 「カレブ」は無名のままで与えられた働きに
  仕えました。
 

 

2015年10月4日第2礼拝宣教 使徒言行録11章26節  ヘブライ人の手紙12章2節

  • 2015.10.14 Wednesday
  • 14:10
「キリスト者の歩みとは」古川良男牧師(品川教会) 

 「キリスト者」→新共同訳・新改訳
 「クリスチャン」→口語訳・現代訳
どちらも同じ意味ですが、「キリストの弟子」「キリストに従う者」「キリストに結びついて生きてゆく者」
「キリストによって罪赦された者」なのです。
「キリスト者」が信じているのは天地万物を創造された神、人を愛し主イエス・キリストを通して救いの道を
完成して下さった神様です。 
「キリスト者」は自分の力だけで生きようとはしません。自分の計画や運あるいは勘だけで生きようとは
しないのです。「キリスト者」が生きる土台・歩む土台は、命と喜び、感謝と希望が与えられると信じているからに他なりません。
よく自分が選んだ、自分で決心したと思いがちですが、実はその前に神様が選んで下さり、
しかも任命して下さったことをみ言葉から教えられる(ヨハネ15:16)のです。
「キリスト者」になっても失敗や挫折、落ち込んだりスランプになったり、
ストレスを感じてしまうことがありますが、どんな時でもみ言葉に立ち返る、
同信の友に祈ってもらう、何といっても神様に祈り続けることが大切です。
それは又、イエスから目を離さないこと、キリスト信仰から離れないことです。

2015年9月13日第2礼拝宣教 テサロニケの信徒への第1の手紙5章16〜18節

  • 2015.09.14 Monday
  • 16:30

神が望んでおられること古川良男牧師(品川教会)

 今朝のキリスト教会の礼拝や午後には敬老祝福式や記念会がそれぞれの教会が独自のプログラムで持たれ、65歳以上〜70歳以上の方々が多いようです。今までの神様の導き、守り、支えに感謝すると共に多くの方々の祈りがあったことを忘れないように、これからの歩みも主にゆだねて下さい。
 さて、今朝のみ言葉は良く知られており、暗記されておられる方いらっしゃるでしょう。なぜなら「信仰三原則」の一つでもあります。
 /仰、希望、愛(コリント一
13:13)
◆‘察⊃人、いのち(ヨハネ14:6)
 喜び、祈り、感謝
(上記)ですが、前の節13〜15節を読んでみると人の思い、考えを超えて神の導きなくして出来ない事を感じるのではないでしょうか。そうです、信仰生活=教会生活は神が導き、支えてくださるのです。(16節)「いつも喜んでいなさい」喜びはみ霊の実の一つです(ローマ14:17)。(17節)「絶えず祈りなさい」これが目を閉じ、手を組み、頭を垂れる形で声を出すことなら実行は難しいでしょうね。なかには、絶えずだから眠らないで祈るのですかと尋ねる方がおられますが、そうではありません。これはクリスチャンが常に神様に信頼し委ねて歩むことを意味しています。(18節)「どんなことにも感謝しよう」人生で直面する不幸、悲劇、試練に対して感謝しなさいとは言っていませんが、順境の時だけでなく、あらゆる状況においても神が最善をなしてくださることを信じて行きましょう。