2016年10月30日第2主日礼拝 マタイによる福音書5章1節2節、4節
- 2016.10.30 Sunday
- 14:00
「語られた言葉」大須賀綾子牧師
イエス様は、神様の御子です。
イエス様は、生まれて、成長し、神様のお働きをなさいました。
イエス様は、いろいろな場所を歩き、いろいろな人に出会われ、旅を続けられました。当
時、町は壁で囲まれていました。門から町に入ると、中心部に神殿があり、その前に広場
がありました。そこで、イエス様は、「神様の御国は、もうここに来ている。神様はみん
なを祝福されている。」と希望の福音を伝えました。
イエス様の時代、旧約聖書の律法に従うことが、主なる神様への信仰だと理解されていま
した。その中で、病気や様々な困難にある人々は、神様の祝福を受けていないためにその
ような状況に陥っている、という誤解があり、共同体、家族、友人知人、住んでいる町か
ら拒絶されるという悲しいことが起きていました。
イエス様は、街中ですごすことがゆるされない人々、助けも受けられない人々に出会われ
ます。そして、声をかけ、病気を癒し、問題を解決して導かれていったのです。
まちから少し離れたところで、イエス様は、ついてきた人々の前で、丘の上に腰を下ろし
、多くの人々へ語りかけられます。
悲しむ人々は幸いである。その人々は慰められる。と。
人が悲しむことを、イエス様は認めてくださいました。
悲しみと向かい、心を傷めることを幸い、と呼ばれました。
恵みは、勝ち取るものではなく、祝福は、幸いを得ること、そして、悲しむ人々こそ幸い
だと、教えられました。悲しみ、嘆き、主なる神様に助けを求めることこそ、神様へ向か
う姿、神様に頼れる、弱さを知っている人だと、イエス様は言われます。
悲しむ人とは、人々に寄り添い、心を傷めることのできる人、心を寄せることが出来る人
だ、と。
日本語で、「優しい」という漢字は、「人」が「憂う」と書きます。心を痛めて、苦しむ
人に目を注ぐことを「優しい」と言います。その思いは、神様が私達に与えてくださった
愛の一部です。
イエス様は、悲しむ人々は慰められる、と救いの言葉をくださいました。イエス様の慰め
は、一人一人の心の回復、人間性を取り戻し、命の尊厳を持ち直すこと、です。
神様の祝福は、一人一人の命を尊いものとして、大切にしてくださるのです。
悲しむ人々は幸いである。その人々は慰められる。
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