2016年9月11日 第2主日礼拝 敬老祝福礼拝 コリントの信徒への手紙一 1章4から9節

  • 2016.09.11 Sunday
  • 13:46

「豊かな人」 大須賀綾子牧師

主なる神様は、イエスキリストを通して、愛を私たちに与えてくださいました。私たち一人一人を見つめ、一つ一つの命に特別の使命をもたせ、大切に想って、見つめておられます。

 

神様が世界をお創りになりました。

私たちを大切な作品としてお創りになり、言葉が与えられ、考える力を与えられました。神様は私たちを愛しておられるので、それぞれ特別に、それぞれ違った賜物を与えてくださり、命を豊かに生きることができるように備えてくださいました。

 

イエス様が私たち一人一人の重荷を背負ってくださり、私たちの奥底にある罪を、ご自分の命をもって贖ってくださいました。完全なる正しさである、主なる神様の前で、どこにも傷のない命として立つことができるように、イエス様が命を差し出してくださったからです。

私たちがイエス様に出会う時、私たちのありのままの姿を、私たちは知ることになります。本当の痛み、悲しみと向き合います。奥底にある、暗闇、絶望に目を向けることになります。その絶望の中で、イエス様が立ってくださいます。そして、闇に光がさします。

すべての中心が私たちであったときは、自分の損得、自分の考えることだけが大事でした。どれだけ成し遂げたか、どれだけ、周りから認められたか、どれだけ自分の欲望が満足したが、が、幸せの基準でした。

そうして生きていくと、いつまでも何かに追いかけられ、いつまでも不満で、いつまでも悲しいのです。

 

イエスさまが私たちの中心になると、すべての意味が変わります。

私たちの力が無いところは、主なる神様の豊かな祝福を受ける、恵みの場となります。命を尊ぶところとなります。弱さの中、悲しみの中でこそ、主の愛を深く豊かに知ることとなります。

 

私たちは、命の誕生から、成長し、大人になります。

人を支え、励まし、多くを分かち合えるでしょう。たくさんのことを成し遂げ、社会に貢献する人もいるでしょう。

そして、また、命は次の段階へすすみます。

今まで出来たことができなくなり、強かったことが弱くなっていきます。

必死で生きていたときには、気がつかなかった周りのことに目が止まり、中心に立つことから、人に譲り、見守る側に立つようになります。弱さ、頼りなさを味わうことで、生きること、命、そして、天に召されることを意識することが多くなっていきます。

 

そうして、イエス様のみわざを見ることができるようになっていきます。

何かできる、何か成し遂げられる、何かもっていることが、人、なのではなく、神様から与えられる命の尊さ、神様から愛される命そのものが、人、だとわかるようになるのです。

 

イエス様にあって、私たちは、完全なものとなっていきます。私たちの、価値観、世界観、理解は、時間とともに変えられ、主の御国への思いが深められ、神様の私たちへの眼差しを味わうことができるようになるのです。

 

私たちは主と共に歩みます。イエス様が命をかけて、私たちとともに歩んでくださるからです。命は神様のものだからです。

主にあって、私たちは喜びましょう。主にあって、私たちは世界を見守りましょう。主にあって、主から与ったその知恵によって、私たちは自分を愛し、また隣の方々を愛してまいりましょう。

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